嫁・姑 その2
- 2010.09.04 Saturday
- 23:01
1994年、亡くなる一年前、こんなことがあった。
おしどり夫婦のおじいちゃんとおばあちゃんが電車でどこかへ出かけようとしていた時、
小淵沢駅の待合室で、突然おばあちゃんが意識を失ってしまった。
近くにいた人が救急車を呼び甲陽病院へ…
誰から連絡を頂いたのか気が動転していて思い出すこともできないが、
青天の霹靂だった。
「あっ、そうだったのか、なぜ気がつかなかったのだろう
おばあちゃんの方が先だったんだ。
おばあちゃんを大事にしなくちゃいけなかったんだ。
まだ、なんの親孝行もしていない。感謝も言っていない
何という嫁だ。
お母さん死んじゃ嫌だ。悔いが残る。死なないで死なないで
ごめんなさい。ごめんなさい。」
涙で前が見えないくらい泣いて泣いて運転して行った。
我が家はその頃、食道癌で手術をし、余命いくばくかの宣言をされたおじいちゃんを中心に回っていた。
爆弾をかかえているような日々だった。
どちらかといえばおばあちゃんは、
おじいちゃんのお世話のために生きているかのようだった。
愚痴を言うこともなく、出過ぎることもなく
モクモクと一日一日を生きていたことに初めて気づかされた。
病院に着いた。
またまたビックリ、声が出なかった。
(つづく)
テニスについてはもひとつブログで多く取り上げることにしました。
参考になるブログをリンクしてあります。ぜひご覧ください。
おしどり夫婦のおじいちゃんとおばあちゃんが電車でどこかへ出かけようとしていた時、
小淵沢駅の待合室で、突然おばあちゃんが意識を失ってしまった。
近くにいた人が救急車を呼び甲陽病院へ…
誰から連絡を頂いたのか気が動転していて思い出すこともできないが、
青天の霹靂だった。
「あっ、そうだったのか、なぜ気がつかなかったのだろう
おばあちゃんの方が先だったんだ。
おばあちゃんを大事にしなくちゃいけなかったんだ。
まだ、なんの親孝行もしていない。感謝も言っていない
何という嫁だ。
お母さん死んじゃ嫌だ。悔いが残る。死なないで死なないで
ごめんなさい。ごめんなさい。」
涙で前が見えないくらい泣いて泣いて運転して行った。
我が家はその頃、食道癌で手術をし、余命いくばくかの宣言をされたおじいちゃんを中心に回っていた。
爆弾をかかえているような日々だった。
どちらかといえばおばあちゃんは、
おじいちゃんのお世話のために生きているかのようだった。
愚痴を言うこともなく、出過ぎることもなく
モクモクと一日一日を生きていたことに初めて気づかされた。
病院に着いた。
またまたビックリ、声が出なかった。
(つづく)
テニスについてはもひとつブログで多く取り上げることにしました。
参考になるブログをリンクしてあります。ぜひご覧ください。